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すずろごと

偏見にまみれた140文字以上のついーと

貧困ってこういうことでは

これから毎月に5万円ずつ支給いたします。

 

という幸運が舞い込んだとして、現実的に何をする?

 

貯金する、回らない寿司を食べる、遊園地に行く、服を買う。

数か月分を合わせて旅行に行くのも良いな。カメラも買おう。

 

とても前向きな使い道である。

 

だけど、もしいま、かつかつな生活をしていたら。

 

壊れたきり歩いていたけど自転車欲しいな。ケトルがあったら便利そうだなと思ってたんだよね。擦り切れそうな服買い替えようかなあ。もやし以外の野菜も買えるぜ。本屋で新品の本買っちゃう?今日はエアコン付けようか。

 

生活水準をフツーまでひきあげる為に、お金はまわされる。

0からプラスではない。プラスから更なるプラスではない。マイナスから出来る限り0へ近づくためにお金が必要なのだ。

 

生きていけない程ではないけど、たくさんの小さな我慢を積み重ねて生活をしてきた。だましだまし物を使ってきた。壊れたものはそれっきりのこともある。

まずはそのたくさんの小さな我慢の解消や優先順位は低いけどあったら便利なものにお金は消えていくだろう。

 

ぱっと見フツーの生活と変わらなくても、貧困というのはひげ根のように巣食っている。はたから見て貧困だとわかる方が珍しいのだ。

 

そして、はたからは分からないからこそ、貧困は大変なのだ。

 

普段は切り詰めた生活をしていても、どうしても譲れない線だけはお金を出す。どうしても欲しいものは購入する。

それは人によっては、旅行だったり、ブランド品だったり、回らない寿司だったり様々だ。

恒常的にお金を使っているわけではなくて、ごくごくたまに、これだけはと決めてお金を出す。

 

でもそれを人々は、贅沢だという。お金に困っていないじゃないかという。もしも本当に困っているならそんなことにお金を使わなければいいじゃないかという。

 

これはモチベーションである。モチベーションを高めるものではない。ギリギリのところでモチベーションを保つものである。

 

不幸を醸し出すのではなく、力強く前向きに生きようと、必死につかむ藁である。

いや、藁なんて流れていないから、自分で蒔く藁である。

 

これさえ失って、何を支えに生きろというのだろうか。

ゆとりなく生きている人にとって、心無い言葉は視線は扱いは、鋭利すぎる。

 

貧乏人らしく見えないと、不幸な存在であろうとしないと、憐れむ対象となろうとしないと、思いやれないなんて、悲しすぎるよ。