すずろごと

偏見にまみれた140文字以上のついーと

とんび - 重松清

 

この話には一貫して”普通”の家族の像はほとんど描かれない。

父がいて、母がいて、子供がいる家庭。

親を知らずに育ったヤスさんと同じく妻の美佐子さん。

二人の息子アキラが幼いころに美佐子さんは亡くなってしまう。

周囲をみても、娘に母と認識される前に出戻ったたえ子ねえちゃんや子供のいない照雲夫婦など、”普通”の家族像を描き出す面々はいない。

 

出てくるのはただ二組だけ。

ヤスさんの幼馴染の照雲一家と、アキラが怪我をさせる後輩一家

照雲とは兄弟のように遊び、悪さをし、その父海雲和尚に一緒に大目玉をくらう、そんな一番身近で家族像を与えてくれた一家

アキラが怪我をさせた後輩一家は、きちんとした職についてそうな父親と専業主婦であろう母親といった、きっとまさに”普通”と形容されるだろう一家

照雲一家という一番身近な存在と、アキラが怪我をさせたことで父親が家に乗り込んでくる、そんな因縁のある相手を、ヤスさんに一番縁のない”普通”の家族に選んだのだ。

 

 

ところでこの本のテーマはなんだろう。

 

父の愛?

親になること、子であること?

 

きっと的を外しているわけではないだろうけど、「つながり」と「逃げ場」という言葉が私にはしっくりくる。

 

”完全”な家族という囲いがなくとも、兄弟みたいな親みたいな祖父母みたいな息子みたいな孫みたいな存在として、お互いに必要としながら生きていく。

家族を知らない、と、失った、と、思っていても、自分にとっても相手にとっても大事なつながりがあって、いつの間にかかけがえのない存在になっている。

それが家族という定義である必要はない。

”普通”の家族でないことは何も欠けていることではない。

 

そしてまた、そのつながりは、逃げ場として最大の効果を発揮する。

 

1対1の関係では作り出せない、第三の場。

頭を冷やすあいだ距離をとることや、近すぎると素直に受け取れない言葉、客観的な視点が時には必要だ。

 

一人で育てあげないといけないと気負いながらアキラと向き合い、

育てる中で逃げ場の存在に助けられ、そのありがたみに気づいたから、

だからこそアキラが家族を持ち、東京で一緒に住まないかと言われたときに、

備後で逃げ場に、最後の最後に帰る場所になると、すっと言葉が出たんだと思う。

 

とんびが鷹を産む。

ぶきっちょで真っ直ぐなヤスさんと、その息子の出来良く育ったアキラのことを揶揄して周りが囃し立てた言葉。

 

とんびの想いがなければ鷹は育たない。

 

 

海になれ、子供に寂しい思いはさせるな。

親になる覚悟というのは、自身の孤独を受け入れる覚悟かもしれない。

ホストクラブに行ってきた。

最近、コミュ力高めでそれなりに頭の良い人に飢えている。

圧倒的に会話が上手い人と話した時の感動は麻薬みたいにクセになる。

 

だから今回ホスト行こうって誘われたときから、ちょっぴり期待してたんだ。

ほんとに勝手なイメージだけど、すっげーコミュ力あって褒め上手な接客のプロで、相手に任せていれば会話が弾むんだろうなって。

 

まずホストのシステムなんだけど、5回転ぐらいフリーが回ってから最後に指名をする、という流れ。

このフリーの時間は1回転5~10分ぐらい(体感)なので、インパクトを残すのに苦労してるんだろうなーという印象。
なによりもみんなの試行錯誤を、多種多様な名刺が物語っている。

 

顔写真見てフリーの時に回してほしい人をお試し指名することも可能だし、こんな感じの人まわしてほしいと言えばそれなりに考慮もしてくれる。

今回は初体験3人で行ったので、「The ホスト」「売れてる人」「役職持ち」みたいなざっくりとホスト感を味わえそうな要求をしてみた。

 

いやー確かに「The ホスト」とはいったけどさ、なんかホスト勘違いしてね!?!?!?(ホスト初体験者がなんかほざいてる)

 

飲む&ゲームしかできない人、話が通じないし何言ってるかもわからない人、失礼なこと言うのが面白いと思っている人、自分の客を落とすことしか考えられてない人、話を深堀り出来ない人。

 

飲んでゲームしてdisることがホストなの????それでいいの????いやいいならいいけどさ????

 

さすがに役職持ちは落ち着いてるし会話が成り立ちがちだけど、それでも上に当てはまる人もいて。

なーんでこっちが気を遣って暴言を笑いに変えてるんだろうとか、なーんでこっちがテンションとかノリを合わせているんだろうとか、思っちゃったよね。

 

ともかく「同じ言語を使う≠同じ文化圏に生きてる」というのを久しぶりに思い出した出来事だった。

 

いや、会話する以上、こっちも気を遣って話が盛り上がるように努力するのは当たり前だと思うんだよ。

でも、仮にもそのサービスでお金取っているのだし、もうちょっと頑張ってみようぜってね。

 

まあこちら、お金にならない客だったから何にも文句は言えないんだけども。

それこそ客はお金払ってなんぼの世界だしね。

 

というわけで、一度札束携えていって、こちらの義務を果たしたうえで本気の接客をしてもらいたい。

はやく社会に出なければ・・・・

金の斧か普通の斧か

-あなたが落としたのは金の斧?銀の斧?普通の斧?

-ふ、普通の斧です・・・

-あら正直者ね。金の斧あげるわ。

 

みたいな展開はあくまでおとぎ話でしかない。

現実では普通の斧を落としたという正直者は普通の斧を受け取るし、
金の斧を落としたというがめつい奴らは金の斧を受け取る。

それどころか、何も落としてないのに金の斧を落としたという主張をする奴らだって、時には金の斧を受け取りやがる。

 

店員やってて、前者に気持ちよく利用してもらいたいけれども、細心の注意を払う相手は後者だし、

前者にサービスをしたいけれども、多くサービスを受けるのは無理難題を要求する後者。

だからと言って後者とやり合おうと思ったら時間も労力も取られまくって他のことがままならない。

 

ということはとりあえず金の斧主張し続けた方が得?

前者ってただの阿呆?

 

前者でいるか、後者でいるか。

それを決めるのは損得勘定ではなく、自分の矜持。

そして、どちらの自分を好きな人に囲まれたいか。

それを忘れないようにと、ときどき胸に刻みなおす。

忘れられない空気感

小学生の夏休みの感覚を、未だに忘れられずにいる。

終業式の日は何かが待ち受けているかのように、持って帰るたくさんの荷物と同じくらいのワクワクがあった。

むしむしした暑さ、じーじーと鳴くセミ。

かき氷に抹茶の粉と小豆をのせるのが好き。

座布団の上で昼寝をしたらいつの間にか日が傾いていて。

じりじりと照らす太陽の下を自転車で走るだけでも、いつもと違う身軽さがあった。

夏休みも残りわずかになって、あわてて夏休み中の一行日記と天気を捻り出すのも、今思えば醍醐味だったのかも。

 

まだ暗いうちに起きる修学旅行の朝。

眠さが勝りながらも高揚感が見え隠れ。

 

クリスマスの朝。

サンタさんが息をひそめているのか、いつもよりシンとした朝。

 

8/6の朝。

ちょっと気怠さが漂い、みんないつもより少し静かな気がする。

サイレンが鳴るまで落ち着かない、気持ちだけのタイムスリップ。

 

台風の日。

なぜかクッキーを作ることが恒例になっていた。

世界に一軒だけになったかのように感じる世界でオーブンに灯りをともす。

外すごいねぇといいながらつまむクッキーはいつもより上手くできた気がした。

青春

制服で二人乗りして

帰り道にコンビニでアイスを買って

一口もらって

夕焼け見てきれいだねって言い合って

たわいもない電話をして

おやすみって言ったあと切れなくて笑いあう

 

ああ、青春だな

自分の通らなかった青春だな

とおもう

 

でも、きっと、そこにいたら青春だなんて微塵も思わないんだろう

そういうことが青春なのかと思う

 

青春というのはその年のときにすると一番輝く出来事をいうのかもしれない

 

幼稚園の時に結婚を誓ったり

小学生の時に二人だけでお出かけしたり

中学生の時に夜遅くまで電話したり

高校生の時に制服デートをしたり

大学生の時に一緒に授業を受けたり

社会人の時に会社帰りに旅行にいったり

 

だけじゃなくて

 

幼稚園の時におもちゃを取り合うことだって

小学生の時に野山を駆け回ることも

中学生の時に保健室でサボることも

高校生の時に放課後友達と喋りたおすことも

大学生の時に深夜のコンビニに行くことも

社会人で新幹線でビール飲むことだって

 

青春なんだとおもう

 

ほとんどが他の年代でもできることだけど、でもなんか違うんだよなあ

そのときにやるから青春なんだよなあ

 

失った青春はもう手にできない

中高生のときにもっとこうやっとけば良かったなんてよく思うから

自分は青春ゾンビだなっておもう

 

とはいえ昔の手にしなかった青春に縛られて、

いま手にできるはずの青春を取りこぼさないように、

いまを全力で満喫したいものだね

八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。 - 天沢夏月

「俺はどうしたらいい、透子。」

 

四年前の夏のあの日から、ただ時が過ぎてゆく毎日。

彼女の死を清算できず、逃げるように東京に出たまま故郷に足を踏み入れるきっかけを失っていた。

 

線香をあげてやれよ。との友人からのメールで2年振りに帰ってきた町。

廃れた駅前のロッカー、何も変わらない透子の部屋。

 

髪に漂うせっけんの香り、キラキラしたビー玉みたいな瞳、からからと笑う声、華奢な体に触れた感触。

ソーダ味のアイス、偽ラムネ。

交換ノート。

 

炭酸のように湧き出てくる彼女の残り香。

断ち切ろうとしていた未練は、その努力をあざ笑うかのように、故郷に帰った途端あっという間に強く結びなおされた。

 

「あなたは、誰ですか?」

 

4年前に片翼を失った交換ノートは、ページが進むことはもうない、はずだった。

止まった時間に途方に暮れていたとき、うっかり書きこんだ問いに来るはずもない答えが書き込まれた。

4年前の俺が知らない秘密のやりとりが、始まる。

 

4年後の俺とのやりとりの傍らで、彼女は4年前の俺に得意気にタイムトラベルの話をする。

タイムパラドクスがあるから無理だと言われているタイムトラベルも、抜け道がいくつかあるの。

パラレルワールド説、タイムトラベルも歴史に織り込まれている説、過去不可変説。

 

彼女は、その話をしながら、何を思っていたのだろう。

自分の未来に、どう思いを馳せていたのだろう。

 

 

時空のゆがみが生じるストーリーがきれいに環を描く切ないお話。

こんなにも優しい、世界の終わりかた - 市川拓司

「優しくないね」

「うん、優しくない」

 

この世界で穏やかに生きるのは難しい。

心の趣くままに生きるのは難しい。

多くを望まないことを許してくれない。

ぶきっちょには厳しい世界だ。

 

世間からはみ出た、独自の世界をもつ男の子たち

クラスの男子の視線の先にいる、きれいなおとなしい女の子

はたから見たら一緒にいるなんて信じれない、信じたくないような3人。

 

はみ出し者たちは社会から認められず、社会が気に入るその女の子だけが寄り添ってくれる。

女の子もまた、気に入ってくれる社会に居場所を見いだせず、そのはみ出し者たちだけが心の支え。

 

彼らを取り巻く世界が人々が、荒野のようにすさんでいたり、吹雪のように寒々していたり、日照りのように殺伐としていても、彼らは優しい、美しい世界に生きている。

どれだけ彼らに優しくない世界だったとしても、彼らは精いっぱい、自分らしく、そして優しさを抱いて生きている。

 

きっと神様は彼らのような存在なのだ。

世界から優しさがなくなる前に、この世界を優しさでいっぱいにして留めておこうと思ったに違いない。

 

優しさで溢れた世界では、みな穏やかに最期を迎える。

愛する人を思い、うやむやにしていた未練を拾いあげる。

無限にあると思っていた時間はもともと多くなかったのだと、いつかなどなかったのだと気づく。

 

お金や名声や優位性なんて、世界の終焉にあたって無価値である。

世界が終わるとき、愛だけが唯一の真実となる。

 

彼らは世界が優しさで溢れるまで、極寒の世界を生ききった。

ぼくの親友の最後の言葉。

「ぼくはぼくらしく生きるために戦ったよ。誰にもぼくを変えさせはしなかった。ぼくの魂には傷ひとつついていない。」

世間がどれだけ彼を抑え込もうとも、彼は彼にしか作れない彼だけの人生を歩み、優しい世界に抱かれて眠りについた。

 

戦争が起きることもなく、隕石が落ちてくることもなく、宇宙人が攻め込んでくることもなく、天変地異が起きることもない。

無人のコンビニではレジカウンターにお金がたまっていき、道行く人は互いに助け合う。

 

こんなにも優しい、世界の終わりかたがあるなんて。

 

 

p.s. はみ出し者のぼくの親友も、はみ出し者のぼくの父さんも、とっても良いこと言うんだよね。人としての面白さ(深み)って、きっとコミュニケーション力ではなくて内観力なんだろうな。