はかば

しこうのくよう

君がいた春

モノクロの世界に花びらが舞う

花びらの後には君が待っていた

僕の世界は他人(ひと)の音

僕の景色はいつまでも霞む

誘(いざな)う先に暖かな光

踏み出す勇気はありはしない

 

モノクロの世界に星がまたたく

星の向こうには君が輝いていた

僕も忘れた僕の音

僕の景色は雪解けの季節

眼差しの先に鮮やかな色

肩を並べる勇気をください

 

君が見つけてくれた僕を

僕は大事にすると誓うよ

君が見せてくれた景色を

僕は忘れないと誓うよ

君が教えてくれた色を

僕は奏で続けるよ

 

君がいないのにこの世界は

こんなにも綺麗だなんて

君がいないのに僕の音は

こんなにも鮮やかだなんて

君がいなければ僕は

何も知らないままだった

 

彩られた世界に音が弾む

世界の片隅に僕は佇んでいる

いつも探している君の音

君の景色を忘れることはない

それでも僕は奏でていく

君の残した勇気を胸に

タレンタイム

観終わったあと不安感に苛まれる作品がある。私は何を感じれば良かったのだろうか、どういう作品だと言えば良いのだろうか。私は感度が低いのかもしれないし私は言語能力が低いのかもしれない。私は観客たり得てるのだろうか。

タレンタイムを観たあと、よくあるいつもの、支えのない様な不安感を覚えた。私はちゃんと何かを汲み取れただろうか、と。タレンタイムはなにか劇的なことが起きるわけではない。人の生き死にや愛がふんだんに盛り込まれている一方で、どこか淡々と日々は過ぎていく。何も端的ではなく、割り切れないことだらけだ。でも、結局それが、日常なのだろう。そして私達は、日常を生きている。

 

私は初めて知った。マレーシアでは中華系とムスリムの間に大きな溝があることを。私は思い知った。最愛の人か大切な家族か、そう割り切れる話ではない決断が、すぐそばにあるかもしれないことを。私は思い出した。別れの時は我々に合わせてくれはしないことを。私達は気づかないといけない。分断の向こう側にいるのは人だということを。

 

タレンタイムは"人"と"知る"を中心にした話だったのではないかと思う。

最愛の人がいて大切な人がいてライバルがいて隣人がいる。その大事な人達の大事な人は自分には受け入れ難いかもしれないし、信じるモノが違う人もいるかもしれない。大事な人の大事な人をも大事にするには、心の整理がつかないかもしれない。自分が精一杯のときに他者にも心を砕けないかもしれない。

それでも忘れてはならないのは、他者もまた人であること、人は色んなものを抱えて生きていること、目に見える違いやカテゴリーだけで人を分かることはできないこと、なのではないか。

 

人と言うのはグラデーションだ。好きも嫌いも、興味のあるなしも、愛おしさだって0か100ではない。カテゴライズしたって100%その特徴に当てはまるわけでもないし、万人みな良いところもあれば悪いところもある。

あいつはああいうやつと決めつけるのではなく、あいつはあのカテゴリーの人だと見るのではなく、人にしっかり向き合ってグラデーションに彩られた姿を捉えて愛していきたい。

 

人を知って尊重する。それだけなのにそれがとても難しい。他者も人なのだと気づき、他者に思いを馳せ、他者を尊重する。それに気づいた人から、優しい歌を奏でることが出来るようになるのかもしれない。

 

そうして私達は歌いながら、悲しみも楽しみも内包して自分の道を歩いて行くのだろう。

ホロコースト:分断と蔑み、そして無自覚の先に待つもの

アウシュビッツ強制収容所に行ってきた。予習として『ホロコースト』(芝健介, 2008)という本を読んでいたので新たな大きな驚きはなく沈痛した気分にもならなかった。建物や建物跡が残るだけ、という特性もあるだろう。もちろん遺留品やいくらかの状況写真、収容者の写真、書類の数々もある。そして、生き残った方の証言もある。全てが重たいのは確かだ。この寒々としたここで残虐な日々が紡がれていたことを想像せずにはいられない。

ただ、本やガイドを通じて何よりも自分が感じたのは、もやもやとした焦燥だ。

あれは戦時下の特殊な状況だっと、過去の悲惨な出来事だと片付けるには、あまりに現代の様々な事柄に、普遍的な事柄に通じすぎている。

 

残虐非道なホロコーストヒトラーのまたは一部の国家中枢の人々の暴走だったのか?様々な説があれどもわたしはそうは思わない。例えば粉塵爆発は、粉が舞っているところに火が現れることで爆発する。粉があるだけでも舞うだけでも火があるだけでも爆発しない。粉があって粉が舞って火が現れることでようやく爆発する。太古の昔から続くユダヤ人に対する嫌悪(といった簡単な語ではないのだが)が蔑みや分断を通して強化され、敗戦後の鬱屈とした状況で自分達ではないどこかへの責任転嫁と一発解決を求める空気が流れるようになった。そういった過程を経て、ヒトラーやその周辺の過激な主義者達の台頭と独裁を許してしまったのではないか。そして気づいたときには誰も迫害を止められない、いや多くの人は気づくことすらできない状況になっていたのではないか。粉の出現→増量→舞い上がると着実に状況が整ったところに火が現れた。それまでだって幾度となく火は現れており、多くの場合は状況が整っていなかっただけだろう。

 

ユダヤ人を大量に射殺しガス殺し毒殺することは任意の任務だったにも関わらず、ほとんどの軍人が拒否をしなかったのは何故か。風俗街に行く部下達を諌めるほどの所長が虐殺現場のすぐそこに家を構え家族と住んでいたのは何故か。世界の最先端をいき各国から学びにくるほどの医療界に属する人達が麻酔も使わない人体実験を行っていたのは何故か。

初めは3割程度の議席しか持っていなかったナチ党が政権を掌握し独裁的に国を動かすことができたのは何故か。水晶の夜に眉を顰めていた市民たちがそれでもホロコーストを容認してしまったのは何故か。教養が高い国の人々がこの事態を積極的または消極的に推進していたのは何故か。

 

他者への見下し、嘲り、優生思想といったものが温床となって、排他的思考や排他的行動に繋がり、最後には人だと思わないようになる。しかしながらその見下しや嘲り、優生思想といったものが妥当性を帯びていることは決してない。自身を取り巻く状況への不平不満や自身の至らなさを、社会的弱者にぶつけているだけだ。そういったものは戦時中だけでなく平時でも散見される。現代でも。今でも。たくさん。

ヒトラーやナチ党や親衛隊だけが、一部の狂気じみた人達だけがホロコーストを担っていたわけではない。一般市民や一般軍人、本来普通と呼ばれる人達全員がホロコーストに加担していた。街角のヘイトスピーチや直接的な嫌がらせ。または、見過ごす、という方法で。

 

いま、世の中を見渡すと分断する言葉や蔑む言葉に溢れている。そしてそれらの発言を、思想や表現の自由として許されようとする。

「嗜好」や「利害」はある程度その人の主観といってよいだろう。しかし、「価値」は本質的に個人の主観を超えた次元を持っている。ある「価値」に基づく行動は、常にその社会的な「妥当性」を求める。「価値」の問題は主観の問題ではなく、社会的な問題である。(一部要約)

『自由とは何か』佐伯啓思, 2004, p.170-171.

何を言うのも個人の自由、というのは些か暴力すぎるのではないか。自分の発言を社会に投下するのであれば、それが何に繋がるのか、というところまで思いを馳せ責任を持たなければならない。個人の「嗜好」の表明が社会を揺るがす事態になることを、もっと深く受け止めなければならない。そして、「嗜好」や「利害」によって社会を揺るがすことは個人の自由ではない。既存の「価値」を変えていきたいならば適切に社会的合意を取って変えていかなくてはならない。それはヘイトスピーチでは決してない。

 

近年インターネットやSNSの普及に伴い、マイノリティや社会的弱者の存在が可視化されてきた。今までの世の中はマジョリティや社会的強者に適した社会構造だったが、それではいけないという風潮がある。だが、マイノリティや社会的弱者も等しく権利が認められ同様に生きていける世の中へしていこうとしたときに、民主主義の社会では過半数の同意が求められることもしばしばあり、また憲法改正となると2/3の賛成が必要となる。しかしマイノリティは数が少ないからマイノリティたるわけで、マジョリティ側にいる人の動きが重要な鍵となる。自分は困ってないからと他人事でいると現状は何も変わらない。または加速する。第二次世界大戦のドイツのように。「自分は何もしていない」ことは無罪ではなく、罪である。私達は出会う全ての物事に対して、事態と自分の立場・考えを自覚し続けないといけない。

 

きっともう次の粉が、舞い始めている。

昼下がり

誰もいなくなったこの部屋に、換気扇の音だけが静かに響く。

先ほどまで隣に座っていた事務員の木村さんも遅い昼食をとりに食堂へいき、用務員さんもいつものように見回りにいった。普段なら何かしらの用事で学生が出入りしているはずなのに、結界でも張られているかのようにみなガラス窓の向こうを素通りしていく。確かに木村さんが14時に営業終了を宣言した今維持費を払いに来る人はおらず、昼の帰宅ラッシュもとうに過ぎて荷物を受け取りに来る人もいないし、残食が少ない今日は炊事当番も放送をかけに来ない。

こういうときは本をじっくり読みたいと思っているのだが、視線は活字の間を泳ぎ些細な言葉かところところら連想ゲームのように彼方へ飛んでいきそこで砂の城を築く、そうやって考え事だけが捗るのが常だ。今日も愛犬という文字を見た瞬間に昔習っていたピアノの先生のメルちゃんを思い出し、きっともう亡くなったんだろうと思いを馳せたところから先日の友人との会話に引きずり込まれた。

 

先日、友人と飲んでいるときに死という話題になった。死とは永眠という言葉がまさにすべてを表していて、永遠に眠ることなんだ、という内容だった。普段の眠りも眠る瞬間や眠っているときに寝ていたと自覚することはなく、起きた時にようやく寝ていたことを知ることができる。死というものは、その、起きるというフェーズが永遠に訪れないことであると、いうことだった。

夢もまた、夢を見ているときに夢だと自覚するのは稀で、起きた時にようやく現実と相対することで夢を見ていたことを自覚することができる。

死というのは起きることなく眠り続けることや夢を見続けることにより、永遠にその事実に気づかないものなのかもしれない。この場合天国というのは夢の世界と言い換えても差し支えがないだろう。よく生死を彷徨った人が見たという三途の川も、この夢の世界だ。

自分が眠る今が死なのか一時的な眠りなのか分からない(そもそも何も自覚がない)わけなのだが、それと同様に自分が過ごす今が夢ではないと、どうやって気づけばよいのだろうか。起きたその世界が第二の夢なのか現実なのか誰が分かると言うのだろうか。我々は永遠に自分が死んでいるか生きているか確証のないまま死んでいく。そして死んだということにも気づかない。たった一回の人生をどう生きるかと問いながら、実際いま生きているかどうかもわからない。そういうものなのだろう。

 

カチッと音がして見上げると時計がちょうど14時を指したところだった。

本のページはいつものように、読んだ覚えのあるところより随分先を開いていた。

選ぶ

物生選択をする高校生を前にして、私は何を言えば良いのか分からなかった。特に行きたい方向があるわけではない、だから選択肢の多い物理を選ぼうと思う。それに対していいやんと言った。

そもそも特に学部を決めていないなら物理の方が安牌であるといったのは私だ。それは間違ってはいないはずだ。物理を取っていないと工学部に行けないけれど、生物を取っていないといけない学部は知る限りない。そもそもセンターや二次で生物は点の取りにくい科目と呼ばれている。だから物理を選ぶことになんの非合理性もない。

だけど彼は生物の方が好きだといった。

好きなものではなくこの方が良いのではないかと選んで行った先に、何が待ち受けているのだろう。

合理的な理由によりこのほうが良いという選び方は、選んでいるようで選んでいない。何か自分を納得させることのできる理由に委ねて決定させている。

その一つ一つの決定が間違っていたと言える事実はないし、そもそも間違っているわけではないだろう。何故なら間違いが少ない選択をしているわけだから。

でもそうして積み重ねていった先には、何をしていいのか分からないとか特に好きなものがないとか出会う事柄への感度の低さとかそういう境地が待っているのではないか。

自分で決めることは何が起きても誰のせいにもできないという責任を伴うし、小さな正解すら得れないかもしれない恐怖もある。

だけどそれは自分が自分の人生を歩む上で必要なリスクであり、その先で得られるものはかけがえのないリターンなのではないか。

自分で責任を持って選択していくということは、他の誰でもなく自分が生きているということなのではないだろうか。

絶妙だった旅

気の置けない後輩たちと三人で日帰り旅行に行った。

青春18切符が3つ余るからどこか行こうよと声が上がったことにより、ゆるりと日付を決めてゆるりとメンバー追加の声掛けをしてゆるりと行先決めて行ってきた。

旅のあいだもそんな感じで何があったわけではないのだが、あまりにも楽しくて、今までそれなりに旅行に行った中でも最高級だし、新たな旅のスタイルを発見できたという感覚がある。

なぜこんなに楽しかったのか。

 

そもそもまず、何をやっても何が起きても楽しかった。

出だしから、とある駅から乗りたい電車の時刻は調べていたけど実際の集合時間は適当だし、遅れてくるし、駅の場所勘違いしていてバス降りるところ間違えるし、電車遅延の放送聞いて朝ごはん買いに改札から出るもすぐ電車復旧してお茶しか買えないし、観光地に着いて一発目の飯はまずいし、めちゃくちゃさびれてるし、奥地まで行ったものの帰りの路線バス来るまでの1時間に絶望するくらい何もないし、帰りの電車は接続悪すぎて1時間半の待ち時間が発生するし、帰ってきて行こうと思っていた飯屋は営業終了してるし、散々な旅ではあった。

でもいらいらすることも憤りを感じることも一切なく、それも含めてすべてが楽しかった。

でもこれは結果であって、要因ではない。

 

一、メンツが良かった

何でも楽しめる人々だったこと、気兼ねのない相手だからハプニングが起こっても気を遣う必要がなく、沈黙でも携帯見ても本読んでもくっだらないこと言ってもおちょくっても真面目な話をしても何をしても誰も何も思わないこと、日常的な積み重ねがあるからそれら何をしてもお互いの見方が揺らがないこと、それなりに文脈を共有していること、などメンツが良かったのは確かだろう。

 

二、たくさん写真を撮った

その旅行において、面白いと思った瞬間、何やってんだと思った瞬間、何やこれと思った瞬間、きれいだと思った瞬間、それらを確認して残す作業が写真を撮るということだった。頭悪いこというと、その瞬間と確認と振り返りで最低三倍楽しい、味わい深いするめを咀嚼し続けるような旅になった。

 

普段旅行ですら写真を撮らない三人が何故今回に限って写真を撮りまくったかというと、来れなかった大分年下の後輩をトークに巻き込んで報告し続けるというクソ老害プレイをしていたからなんだけど、その節は本当に申し訳なかったと思っている。

 

三、三人という人数の絶妙さ

誰か二人が何かをして残り一人がそれを見守る(写真も撮る)という構図が割と頻繁に起こっていた気がする。みんなが当事者にならない空間は当事者であるときにわりと没頭できて良かった。周りの目がある状況でみんなが当事者である場合、こう思われてそうとかリア充してると思われたくないとかそういう謎な客観性とか思いが生まれてしまうのだけど、一人外界と緩衝剤になる準客観的人物がいると空間として完成しない分のびのび行動できた。

もちろん四人以上でも良いのだけど、そうすると集団内で小集団が出来た時にそれぞれが空間を形成することで準客観的人物がいなくなることがしばしば起きるという点で、三人は絶妙だったのではないかという気づきに繋がった。

 

四、今の話やメンツの良さにもつながるけれど、皆が全力だった

斜に構えた人がおらず、三人とも本気でその時その時を過ごしていた。

名所を見るとかはもちろんだけど、途中の階段でグリコをしたり、かけっこしたりを、我に返らず楽しめたのは良かった。

 

五、三人とも酒が好きでそれなりに飲めた

土産屋でご当地ワンカップを一つずつ買って燗してもらって、ぶらぶらしたり展望台に上ったりしたのがなんか良かった。

 

ぱっと思いつくことはこんな感じなのだが、これらもこれら以外も含めて総じて絶妙だったに尽きるのかもしれない。

メンツ揃えに成功したうえで、我々に合う旅ができた、我々に合う楽しみ方が出来たのだと思う。

 

今後も旅行に行く機会はあると思うが、同じメンツでも違うメンツでももう二度と今回と同じことをして楽しいことはないということは事実で、今回の成功体験を踏襲しようとするのではなく根本に倣って次以降もその時々に合う旅にしていきたいと思う。

愛してなんかいないのに

たまにはピザが食べたくなる。でも、好きな食べ物でピザといったことはない。

私がピザを食べるときは半額セールをやっているときかピザを取りに行ってくれる人間がいるときぐらいだ。学校付近に安いピザ屋があり一時期毎日のように食べていた時も、先輩が研究室に米を持ってきた瞬間食べなくなった。

そもそもピザは毎日食べるのにあまりにも向いていない。ピザ本体は言うまでもなく追いチーズだってコーラだってカロリーの塊だし、何を隠そう生地は小麦粉である。最近流行りの糖質制限を指さしては笑っている。塩分高いし脂質も多いし野菜は取れないしタンパク質だって大したことない。

イカロリーハイコストハイリスク。

先ほど言ったようにそんなにピザを食べているわけではない。それでも、一年間で一番食べた食べ物といっても過言ではない。どうして私は食べるメリットが見つからないといいつつなんというツンデレを発揮しているのか。こんなはずではなかった。

だいいち、日本におけるピザの歴史なんてたかだか70数年なものなのだ。それが今ではピザって十回言うゲームなんて漫才ですっと使われるぐらい常識になっている。

なんでこんなに人気があるのだろうか。 

 

そんなことをいいつつももう分かっている。

脂質糖質炭水化物

この三銃士がそろった時点で我々に勝ち目はないのだ。ただ面前にひれ伏すのみ。

しかもカスタム自由に期間限定商品もあるときた。

人類が最も弱い謳い文句に刃向えるわけがないだろう。

 

さあ、幸福(降伏)の宴を開こうじゃないか。

 

ところでなんでアマゾンギフト券なの?