はかば

しこうのくよう

絶妙だった旅

気の置けない後輩たちと三人で日帰り旅行に行った。

青春18切符が3つ余るからどこか行こうよと声が上がったことにより、ゆるりと日付を決めてゆるりとメンバー追加の声掛けをしてゆるりと行先決めて行ってきた。

旅のあいだもそんな感じで何があったわけではないのだが、あまりにも楽しくて、今までそれなりに旅行に行った中でも最高級だし、新たな旅のスタイルを発見できたという感覚がある。

なぜこんなに楽しかったのか。

 

そもそもまず、何をやっても何が起きても楽しかった。

出だしから、とある駅から乗りたい電車の時刻は調べていたけど実際の集合時間は適当だし、遅れてくるし、駅の場所勘違いしていてバス降りるところ間違えるし、電車遅延の放送聞いて朝ごはん買いに改札から出るもすぐ電車復旧してお茶しか買えないし、観光地に着いて一発目の飯はまずいし、めちゃくちゃさびれてるし、奥地まで行ったものの帰りの路線バス来るまでの1時間に絶望するくらい何もないし、帰りの電車は接続悪すぎて1時間半の待ち時間が発生するし、帰ってきて行こうと思っていた飯屋は営業終了してるし、散々な旅ではあった。

でもいらいらすることも憤りを感じることも一切なく、それも含めてすべてが楽しかった。

でもこれは結果であって、要因ではない。

 

一、メンツが良かった

何でも楽しめる人々だったこと、気兼ねのない相手だからハプニングが起こっても気を遣う必要がなく、沈黙でも携帯見ても本読んでもくっだらないこと言ってもおちょくっても真面目な話をしても何をしても誰も何も思わないこと、日常的な積み重ねがあるからそれら何をしてもお互いの見方が揺らがないこと、それなりに文脈を共有していること、などメンツが良かったのは確かだろう。

 

二、たくさん写真を撮った

その旅行において、面白いと思った瞬間、何やってんだと思った瞬間、何やこれと思った瞬間、きれいだと思った瞬間、それらを確認して残す作業が写真を撮るということだった。頭悪いこというと、その瞬間と確認と振り返りで最低三倍楽しい、味わい深いするめを咀嚼し続けるような旅になった。

 

普段旅行ですら写真を撮らない三人が何故今回に限って写真を撮りまくったかというと、来れなかった大分年下の後輩をトークに巻き込んで報告し続けるというクソ老害プレイをしていたからなんだけど、その節は本当に申し訳なかったと思っている。

 

三、三人という人数の絶妙さ

誰か二人が何かをして残り一人がそれを見守る(写真も撮る)という構図が割と頻繁に起こっていた気がする。みんなが当事者にならない空間は当事者であるときにわりと没頭できて良かった。周りの目がある状況でみんなが当事者である場合、こう思われてそうとかリア充してると思われたくないとかそういう謎な客観性とか思いが生まれてしまうのだけど、一人外界と緩衝剤になる準客観的人物がいると空間として完成しない分のびのび行動できた。

もちろん四人以上でも良いのだけど、そうすると集団内で小集団が出来た時にそれぞれが空間を形成することで準客観的人物がいなくなることがしばしば起きるという点で、三人は絶妙だったのではないかという気づきに繋がった。

 

四、今の話やメンツの良さにもつながるけれど、皆が全力だった

斜に構えた人がおらず、三人とも本気でその時その時を過ごしていた。

名所を見るとかはもちろんだけど、途中の階段でグリコをしたり、かけっこしたりを、我に返らず楽しめたのは良かった。

 

五、三人とも酒が好きでそれなりに飲めた

土産屋でご当地ワンカップを一つずつ買って燗してもらって、ぶらぶらしたり展望台に上ったりしたのがなんか良かった。

 

ぱっと思いつくことはこんな感じなのだが、これらもこれら以外も含めて総じて絶妙だったに尽きるのかもしれない。

メンツ揃えに成功したうえで、我々に合う旅ができた、我々に合う楽しみ方が出来たのだと思う。

 

今後も旅行に行く機会はあると思うが、同じメンツでも違うメンツでももう二度と今回と同じことをして楽しいことはないということは事実で、今回の成功体験を踏襲しようとするのではなく根本に倣って次以降もその時々に合う旅にしていきたいと思う。